昔は書けなかった、「自分の願いごと」
~七夕の短冊を書いて気づいたこと~
今日は七夕ですね。
短冊を書くたびに、近年感じていることがあります。
「願いごとって、今の自分がそのまま表れるんだな」って。
■ 昔の願いごとは、いつも誰かのためだった
昔の私が短冊に書いていたのは、いつもこんな願いでした。
「世界が笑顔いっぱいでありますように」
悪い願いじゃない。
でも今思うと、これは「自分の願い」じゃなかった気がしています。
自分がどうなりたいのか、分からなかったんだと思います。
だから、自分の願いを書く代わりに、誰かの幸せを書いていた。
自分の本音を、自分でも知らなかった・・・
そういうことだったのかもしれません。
■ 願いごとが、変わっていた
でも今年、短冊を前にして、ふと気がついたことがあって。
書きたいことが、変わっていたんです。
「世界が笑顔いっぱいで」じゃなくて。
「私は、こんなふうに生きたい」
そう書いていました。
小さな変化かもしれないけれど、私にとっては、すごく大きなことで。
自分の願いを、自分で持てるようになっていました。
少しずつ、自分の気持ちが分かるようになってきたからなのかなって。
そう思うと、なんだかこらえられず、笑みがこぼれてしまってました。
■ 神様に「決心」を届けに行っている
願いごとって、「叶えてください」とお願いする時間だと思っていたけれど。
今は少し違う気がしています。
「叶えてください」じゃなくて、
「私は、こう生きます。」
そんな決心を、届けに行っている感覚。
神様にお願いするというより、自分の心に向き合う時間なのかもしれません。
(そう思うと、短冊を書く手が少し丁寧になる気がします。)
■ 願いごとは、自分の本音を知る時間
昔は、自分がどうなりたいのか分かりませんでした。
だから願いごとも、いつも誰かの幸せでした。
でも今は、「私は、こんなふうに生きたい」と書けるようになっていた。
この変化が、自分でも少し不思議で。
気がついたら、本音が戻ってきていたんだな、と感じています。
短冊を書く時間は
神様にお願いを届ける時間でもあるけれど。
本当は、
自分の本音に会いに行く時間なのかもしれません。
今年の七夕が、
あなたにとっても、
自分の心と出会える一日になりますように。
もし今日、短冊を書く機会があったら。
「本当はどう生きたい?」
って、そんな問いを、自分に贈ってみるのもいいのかもしれません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
ここは、ずっと気を張って生きてきた人が、少しだけ肩の力を抜ける場所になれたらいいなと思って書いています。
「自分の気持ちが分からなくなってしまった日」に、また思い出してもらえたら嬉しいです。
なのの|本音を取り戻す言葉



願い事をするときに、自分と向き合うこと。
それを誰かに行動宣言として一歩を踏み出す🎋
今年の七夕🎋のお願い事は自分と向き合ってみたいと思います!
息子は『セミを取りたい』でした。自分の欲をちゃんと言葉にできてる4歳児に負けないように😂
誰かのための願いも素敵やけど、自分の叶えたいことが書けるようになったなんてめちゃくちゃ素敵やね☺️✨